PEKOのひとり飲み

身辺雑記。心に移りゆくよしなしごとを飲みながら書いています。

風薫る5月に阿部薫♫

 「住めば都はるみ」みたいなタイトルつけちゃいました(^^;;。

ここのところ何故かフリージャズを聴く機会が多いです。「はまっている」というのめり込み方ではなく、怖々と周囲をグルグル回るように聴いています。このジャンルは、好き嫌いがはっきり分かれるとよく言われますが、そのことを実感します。

ライブで聴く機会はなかなかないので、「即興演奏」をメディアを通して「再生」したものを聴くことになります。既にこの時点で、私が聴いているのは「再生可能」で「安定」した「音楽表現」。本来の「即興演奏」ではありません。その前提で聴いていると、これらの条件を1つでも欠いた「音」に対して、違和感を感じる自分に気付きました。
 
このことを踏まえないと阿部薫にはコメントできない気がします。

私にとって、フリージャズを聴くことの効用とは何か。ちょっと分析的に書くと…
1.息苦しい日常からの束の間の離脱
2.楽器の可能性を無邪気に追求することの楽しさ
(1)未知だった楽器との出会い
(2)既知の楽器の画期的な演奏方法との出会い
3.表現主体としてのミュージシャンと、演奏される音楽との関係性の理解(できるかどうかは別として…)
…こんなところでしょうか。

先日、このBlogにテレビ朝日題名のない音楽会」の記事を書いたら、思いがけず阿部薫のソロ演奏のCDを聴く機会に恵まれました。
1978年に29歳で夭折した天才サックスプレイヤー。

検索すると、何とAmazonで買えるんですねー。Amazon恐るべし。

彗星パルティータ(紙ジャケット仕様)

Boxでも出ているのにはオドロキです。

阿部薫 未発表音源+初期音源 4枚組CD BOX

夭折。後に残された者は、死後に語られる様々なエピソードや憶測によって、死に至った必然性を探り、受け入れることを余儀なくされ、特に、それが自殺である場合、突きつけられた理不尽さにどう折り合いをつけるか葛藤に苦しめられることになります。

彼の「彗星 Partitas」を聴いていると辛いです。
テクニックについて論ずることは私には無理なので、あくまでも情緒的な感想でしかありませんが、世界とサックス1本で繋がろうともがくような彼の演奏は、嗚咽のように聴こえます。

真面目そうな風貌や、生前のエピソードなどから得た先入観による所も大きいとは思いますが、彼は楽器と心中しちゃったのか⁇と感じます。いい加減には聴けない真摯な音。それが彼の魅力には違いありませんが…。

連休最後の今夜はキリンクラシックラガー。昭和40年頃の味の再現だそうです。
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昔、父が飲んでいたビールは、もっと苦かったような気がしますが、それはきっと私が子どもだったせいでしょう。

あー、あと数時間で「束の間の離脱」から現実へ戻らねば…(~_~;)